Column

Andrew Mariani / Scribe Winery

admin | 2011.08.03

Andrew Mariani
http://www.scribewinery.com/

若干29歳のアンドリュー・マリアーニはソノマにあるスクライブというワイナリーのオーナー。
悔しいかな言わざる終えない。彼はとびきりかっこよく&おもてなし上手。”チャーミング”という言葉はこの人のためにあるのでは?と思う種類の男性。はにかみ笑いとピンクのシャツが格別に似合ういわゆる素敵な男性。去年の6月に会った時は、彼しか似合わないであろう麦わら帽子をかぶっての登場だった。


数字とか請求書とか難しいことは分からない、、、けど人を楽しませること、おもてなすことは、嫌み無くこなす能力がある。そんなしっかりさが完全に抜けている”駄目駄目キャラなところが、また人を引き寄せる彼の魅力の1つかもしれない。

彼との出会いは2010年の4月。サンフランシスコに映画eatripの試写パーティーをさせてもらいに友里さんが渡米した際に一緒に同行。友里さんが去年の2月に修行していた先であるバークレーのレストラン「シェ・パニーズ」のワインや鶏肉等の食材調達場所の1つであることから、シルバンが連れて行ってくれたのがスクライブ。ぶどう畑の裏には鶏や家鴨を育てそれらは仲間のレストランに届けられているという。その土地のローカルな太陽と土の力で育った食材を、その土地にある飲食スペースや家庭で食することができる幸せ。それをスクライブでも体現している。

そんな彼と会うのはいつも決まってソノマにあるスクライブの中心に構える古い家屋=ハシエンダ。
もちろん彼のぶどう畑であるスクライブ・ファーム(SCRIBE FARM)がソノマにあるからだけど、本当の理由がある。



それは彼の強い思い:
シンプルに言うと、
「自分の畑で話し合ったり食事をしたりしにわざわざスクライブに”足を運んでもらいたい”から。」
だからこそ彼は、このスクライブで、ワインを楽しみながらアートやデザインをとりいれたイベントを催す。単なる”ぶどう畑”ではない。
人があつまり、1つのカルチャーとなりえるふんだんな要素がここにはある。だからワインがたまたま切り口かもしれないが、みんなにここで集まってもらい同じ時間を共有してもらうことで、次の何かにつながると信じている。


彼が運営するこのスクライブは昔は昔1856年に当時アメリカには存在しなかったワイン・ビジネスを持ち込み、
ドライ・ワインの先駆者となったドイツ移民が所有していた場所だった。
彼らの功績のおかげで、今や誰もが知っているワイナリーの集まる場所であるソノマ。
その場所に来ないと感じることのできない大地の力や太陽の強さ、そしてその場に集まる人々がつくる雰囲気。
農作物は育てる人々の声や気持ちを土の下で聞いて育つとよく言うものですが、それを体現している。当時のドイツ移民もより多くの人たちとのつながりを求め、よく知人をハシエンダに呼び寄せ、自身のワインとともに楽しいお食事会やパーティーを開いていたことで、事業も拡大しネットワークも増え、後に大きな渦というカルチャーになった。


1920年より14年続いた禁酒法により、そのドイツ移民によって最初に造られた当時のワインが眠って残っているという奇跡は残念ながらなく、解禁になってからのワインなので、歴史はまだ100年。ワインビジネス発祥の国であるドイツに比べれば浅い。ただその100年の歴史を理解し、その100年をベースにした上でこれからを築きたいと奮起したのがアンドリュー。彼が得意とする人を呼び寄せるパワーをふんだんに活用し、日々多くの知人やクライアントや友達がハシエンダには集まる。集まっては、最近のたわいもない話から、食材の話、食物生産方法の話、地域活性化の話などなど、話はつきない。サンフランシスコから車で1時間ちょっとかかるソノマだけど、常に市内の飲食仲間とつながり公私ともに育て合っている感がある。



アンドリューの祖父はユーゴスラビア移民として一文無しでカリフォルニアに渡り、ナパ・バレーにてワインの樽を製作する仕事を16歳からこなしていた。その樽製作で貯めたお金でアプリコット果樹園を購入するまでにいたり、後にこの果樹園は祖父が成功を遂げることになったウォルナットの聖地となる。アンドリューはそのウォルナット農場があったカリフォルニアはウィンター州で生まれ、幼い頃から実に多くの国で様々な勉学に励む旅にでた:
海軍での経験、スペインはクエルナヴァカにてスペイン語を学んだり、ノースアフリカのイスラム市場にて思いにふけったり、スペインのアンダルシア山にあったコルク工場に勤務したり。

その後、カリフォルニアに戻り、経済学で名高いCal-Poly Universityにて輸入学について学び、ワシントンにて貿易を学んでいる最中に、アンドリューは突如ギリシャに逃避。ワイナリーを持つ家庭で日々を過ごすことに。ここでの日々で初めてブドウ栽培方法を学ぶ経験をし、彼にとってワイナリーに対する熱い思いを抱くきっかけとなり、同時に今後の自分へのひらめきを感じる機会になる。


様々な場所を経験し、ワインにひらめいた彼が、今まで生きてきて一番印象に残っているメニュー。このメニューを思い出すまでに、さほど時間がかからなかったから、それだけ印象に残っているのだと思う。それは幼い頃一緒に遊んでいたメキシコ人の友達のお母さんがいつもできたてでつくってくれたトルティーアチップス。あまりにできたてでクリスピーすぎて、おいしい以外の何ものでもない。そのメキシコ人の友達と”トルティーア・クラブ”と名付け、その名称を手書きで描いた紙を自分の部屋のドアに貼っていたそう。彼特有のハニカミ笑顔で恥ずかしがりながら、でもうれしそうに、
「今このハシエンダでやっていることも一緒。できたての料理を仲間のサンフランシスコのシェフにつくってもらい、みんなで味わうってこと」。