Column

Seattle紀行 by Eva

Yukari Iki | 2011.11.07

 

TEXT: EVA SOROKEN
PHOTO: JIM HENKENS

 

 

   Flying out from the east coast, I have always appreciated Seattle for its unique food culture, picturesque natural surroundings, vibrant weather trends, and bold tattoo art. This city is bordered by jagged mountain ranges, where you can breathe the crisp Northwest air, and enjoy a balanced lifestyle of home and work. I will never cease to be mystified by this quietly tucked away region of North America.

   I must admit that I couldn’t exactly put my finger on what I loved and admired so much about Seattle until recently, when my friend Yuri came to visit. We defined her time here with a mission to “eatrip” our way through this city and the surrounding islands. After two weeks, I recognized that the most defining aspect of the Northwest is the synergy, the vibe, and the relationship that people living here have with what they eat. It is this symbiotic flow, a circular pattern of wilderness and civilization pleasantly blending into one that defines Seattle and the Northwest as such a unique region.

   After a calming dinner at the Willows Inn on Lummi Island we rode back to our beach house, slightly tipsy, yet faithfully guided by the stars. There was a darkness cast over the richly forested island but fortunately our bikes were electric, as were the stars that night. At dinner I was staring eye to eye with a delicious Sockeye salmon snack freshly netted just a few hours prior from the cold Pacific waters. Before that we devoured sweet blackberries along the island roads, Yuri carrying handfuls towards me to add to our secret stash.

   During a second dining experience at Sitka & Spruce in downtown Seattle, we sat close to the kitchen, observed the staff, and enjoyed a tasting menu gracefully prepared omakase-style by Kylen, the head chef. Earlier that day, we had breakfast at Matt’s house (the owner of Sitka & Spruce) after wandering through his farm, the source of his restaurant’s produce, and we met Spunky Thomas, the goat.

 

   What impacted me the most about our “eatrip” was the path of the ingredients from the farm directly to the table at both Sitka & Spruce and the Willow’s Inn. We toured the very farms that feed directly into each kitchen, touching and smelling the fruits and veggies, and finally we gathered to enjoy a beautifully prepared dinner at the end of the day. Yuri and I were able to establish relationships with new friends gathered around food. We were able to experience the food at the farm, while receiving concise explanations from the farmers themselves. We could see the farmers committing hours of labor on the farm to the chefs laboring in the kitchens. I felt awakened and thankful to be a part of this new link involving friends and food. Nourishment and community…I think the most basic principles of our life, are often overlooked. It was satisfying to re-identify with the simple aspects, the most beautiful and joyful principles of living.

Seattle [Food] from Molly Hawkins on Vimeo.

This “eatrip” was a success in my mind. I look forwards to the next adventure, the next top-secret investigation into food, friendship, and love.

Here’s to laughter, smiles, good food, and great conversations. Many thanks, much love, cheers!

~Eva

 

 

Column

カリフォルニアと食と人とのつながり

Yukari Iki | 2011.08.10

カリフォルニアはバークレーにあるChez Panisse Restaurant(シェ・パニーズ・レストラン)の40周年を祝う3日間が今月開催されます。その3日間の27日に、eatripの野村友里がお料理をお手伝いさせていただくことになりました。もちろんそのパートナーはPeko Pekoというケータリングチームのシルバン。そのリポートはおってさせていただきたいと思います。お楽しみに!

eatrip野村友里がChez Panisseと関わらせて頂くことになったいろいろについてふれいています。↓
http://www.babajiji.com/3242
http://www.pass-the-baton.com/blog/?p=10236
http://www.j-wave.co.jp/original/lohassunday/enjoy/110605.html

Column

Andrew Mariani / Scribe Winery

admin | 2011.08.03

Andrew Mariani
http://www.scribewinery.com/

若干29歳のアンドリュー・マリアーニはソノマにあるスクライブというワイナリーのオーナー。
悔しいかな言わざる終えない。彼はとびきりかっこよく&おもてなし上手。”チャーミング”という言葉はこの人のためにあるのでは?と思う種類の男性。はにかみ笑いとピンクのシャツが格別に似合ういわゆる素敵な男性。去年の6月に会った時は、彼しか似合わないであろう麦わら帽子をかぶっての登場だった。


数字とか請求書とか難しいことは分からない、、、けど人を楽しませること、おもてなすことは、嫌み無くこなす能力がある。そんなしっかりさが完全に抜けている”駄目駄目キャラなところが、また人を引き寄せる彼の魅力の1つかもしれない。

彼との出会いは2010年の4月。サンフランシスコに映画eatripの試写パーティーをさせてもらいに友里さんが渡米した際に一緒に同行。友里さんが去年の2月に修行していた先であるバークレーのレストラン「シェ・パニーズ」のワインや鶏肉等の食材調達場所の1つであることから、シルバンが連れて行ってくれたのがスクライブ。ぶどう畑の裏には鶏や家鴨を育てそれらは仲間のレストランに届けられているという。その土地のローカルな太陽と土の力で育った食材を、その土地にある飲食スペースや家庭で食することができる幸せ。それをスクライブでも体現している。

そんな彼と会うのはいつも決まってソノマにあるスクライブの中心に構える古い家屋=ハシエンダ。
もちろん彼のぶどう畑であるスクライブ・ファーム(SCRIBE FARM)がソノマにあるからだけど、本当の理由がある。



それは彼の強い思い:
シンプルに言うと、
「自分の畑で話し合ったり食事をしたりしにわざわざスクライブに”足を運んでもらいたい”から。」
だからこそ彼は、このスクライブで、ワインを楽しみながらアートやデザインをとりいれたイベントを催す。単なる”ぶどう畑”ではない。
人があつまり、1つのカルチャーとなりえるふんだんな要素がここにはある。だからワインがたまたま切り口かもしれないが、みんなにここで集まってもらい同じ時間を共有してもらうことで、次の何かにつながると信じている。


彼が運営するこのスクライブは昔は昔1856年に当時アメリカには存在しなかったワイン・ビジネスを持ち込み、
ドライ・ワインの先駆者となったドイツ移民が所有していた場所だった。
彼らの功績のおかげで、今や誰もが知っているワイナリーの集まる場所であるソノマ。
その場所に来ないと感じることのできない大地の力や太陽の強さ、そしてその場に集まる人々がつくる雰囲気。
農作物は育てる人々の声や気持ちを土の下で聞いて育つとよく言うものですが、それを体現している。当時のドイツ移民もより多くの人たちとのつながりを求め、よく知人をハシエンダに呼び寄せ、自身のワインとともに楽しいお食事会やパーティーを開いていたことで、事業も拡大しネットワークも増え、後に大きな渦というカルチャーになった。


1920年より14年続いた禁酒法により、そのドイツ移民によって最初に造られた当時のワインが眠って残っているという奇跡は残念ながらなく、解禁になってからのワインなので、歴史はまだ100年。ワインビジネス発祥の国であるドイツに比べれば浅い。ただその100年の歴史を理解し、その100年をベースにした上でこれからを築きたいと奮起したのがアンドリュー。彼が得意とする人を呼び寄せるパワーをふんだんに活用し、日々多くの知人やクライアントや友達がハシエンダには集まる。集まっては、最近のたわいもない話から、食材の話、食物生産方法の話、地域活性化の話などなど、話はつきない。サンフランシスコから車で1時間ちょっとかかるソノマだけど、常に市内の飲食仲間とつながり公私ともに育て合っている感がある。



アンドリューの祖父はユーゴスラビア移民として一文無しでカリフォルニアに渡り、ナパ・バレーにてワインの樽を製作する仕事を16歳からこなしていた。その樽製作で貯めたお金でアプリコット果樹園を購入するまでにいたり、後にこの果樹園は祖父が成功を遂げることになったウォルナットの聖地となる。アンドリューはそのウォルナット農場があったカリフォルニアはウィンター州で生まれ、幼い頃から実に多くの国で様々な勉学に励む旅にでた:
海軍での経験、スペインはクエルナヴァカにてスペイン語を学んだり、ノースアフリカのイスラム市場にて思いにふけったり、スペインのアンダルシア山にあったコルク工場に勤務したり。

その後、カリフォルニアに戻り、経済学で名高いCal-Poly Universityにて輸入学について学び、ワシントンにて貿易を学んでいる最中に、アンドリューは突如ギリシャに逃避。ワイナリーを持つ家庭で日々を過ごすことに。ここでの日々で初めてブドウ栽培方法を学ぶ経験をし、彼にとってワイナリーに対する熱い思いを抱くきっかけとなり、同時に今後の自分へのひらめきを感じる機会になる。


様々な場所を経験し、ワインにひらめいた彼が、今まで生きてきて一番印象に残っているメニュー。このメニューを思い出すまでに、さほど時間がかからなかったから、それだけ印象に残っているのだと思う。それは幼い頃一緒に遊んでいたメキシコ人の友達のお母さんがいつもできたてでつくってくれたトルティーアチップス。あまりにできたてでクリスピーすぎて、おいしい以外の何ものでもない。そのメキシコ人の友達と”トルティーア・クラブ”と名付け、その名称を手書きで描いた紙を自分の部屋のドアに貼っていたそう。彼特有のハニカミ笑顔で恥ずかしがりながら、でもうれしそうに、
「今このハシエンダでやっていることも一緒。できたての料理を仲間のサンフランシスコのシェフにつくってもらい、みんなで味わうってこと」。


Column

続編:SCRIBE WINERY

admin | 2011.06.13

THE SCRIBE
http://www.scribewinery.com/

現在のソノマがワインの街になっている所以は、ドイツ移民によるものである?

1848年頃にアメリカ合衆国のカリフォルニアで起きたゴールドラッシュ。
金を探し一攫千金を狙う多くの国々の人々が、海や陸を渡りカリフォルニアに集まり、
一時カリフォルニアの人口が一気に20万人にまで増加したほどのコト。
日本ではジョン万次郎が唯一日本人のその時期に金を求めて渡米したことで知られているが、
実際、そのゴールドラッシュで恩恵をうけた人々が、その後どのような事業にそのお金を活用したかどうかは、あまりに人数が多すぎて辿りきれないほど。
ソノマにスクライブ・ファーム(SCRIBE FARM)がオープンする前の歴史をたどると、
そんなゴールドラッシュをきっかけにドイツから移民してきたある人物に行きつく。

その名は、エミル・ドレッセル(Emil Dresel)。
1819年にドイツの有名なシャンパン製造をしていた父をもつ家に生まれたエミルは、建築を学びその職についていた。彼より先にアメリカ合衆国はテキサスで、金を発掘していた兄弟のジュリウス(Julius Dresel)を追って、1851年に渡米。そこから5、6年、ジュリウスと共にゴールドラッシュの恩恵を受けながら様々な土地を旅する日々を送る。

そしてカリフォルニアはソノマだった。

その”発掘活動”をしている数年に行き渡った様々な土地と風景を、当時エミルは水彩画として残しており、1853年には知人であるクッシェル(Kuchel)と共にサンフランシスコにクッシェル&ドレッセル(Küchel & Dresel)という石版印刷の会社を設立した。その絵画の中には後に仲間と開業することになる際に参考にしたであろうロサンゼルスのワイナリーの風景画もある。

後にエミルは1849年に一度ドイツにもどりリースリング(Riesling:ドイツで古くから栽培されている白ワイン用のぶどう)とシルヴェネール(Sylavaner:これもドイツの白ワイン用のぶどう)を輸入し、1856年に友達のジェイコブ・ガンドラック(Jacob Gundlach)と共に、”ライン・ファーム(Rhine Farm、ドイツの西部に続く川の名前”ライン川(Rihine)”を開業。現スクライブ・ファームのちょうど中央にある”集まり場所”のようなハシエンダ(THE HACIENDA:農園の母屋)は、当時ドレッセル家の居住スペースであった。

彼がわざわざドイツに戻りぶどうを持ち替えた理由。それは、アメリカよりも先に1811年頃にはワインビジネスが確率されていたのがドイツ。
そんな街で生まれ育った彼らが移民として移住した土地であるアメリカ/カリフォルニアは、
ぶどう畑を耕すには絶好の場所であり、アメリカでのビジネスとしては初めての試みであった。

1869年のエミルの死と同時に、兄弟であるジュリウスがライン・ファームを引き継ぐことになるが、後にパートナーであるガンドラックとは離れ、
彼の息子や孫がジュリウスの死後も継承していたものの、後の1920年に始まった禁酒法により閉鎖。

閉鎖とはいえ、”SPEAKEASY(もぐりの酒場)”として、ハシエンダに友達を呼び、ドレッセルのワインとともにお食事会やパーティーを行う際には、
秘密の合図があったという。:ドアをノックし、名を名乗れと言われた際に「ドレッセルlより招待されました」と答えるとその扉が開くシステム。
だからこそ、現在どの都市にあるバーでも隠れバーでも、店名として”SPEAKEASY”と名乗っているところが多いのかもしれない。

ドレッセルが作り上げたハシエンダとぶどう畑「ライン・ファーム」は1919年に閉鎖。
その後、ドレッセル家はハシエンダに住んでいたが後の1941年にドレッセル家の手から知人の手に渡った。


そしてこのハシエンダとハシエンダを囲むぶどう畑に惹き付けられたのが、まだ若干29歳のアンドリュー・マリアーニ。
ユーゴスラビア移民である祖父を持ち、様々な国に渡り経済や国際学を学び、その後最後にいきついたギリシャでのワイナリーでの経験が彼に奮起をおこさせることに。
カリフォルニアに戻ったアンドリューは、カリフォルニアワインの産地であるソノマを立ち上げることになったきっかけをつくったドレッセルのライン・ファームのことを知り、
祖父が同じ土地であるカリフォルニアで成功させたウォルナット産業の資金を元に、ドレッセルのハシエンダを購入。


スクライブ(SCRIBE)。直訳すると、写本筆写士, 筆記者、能筆家。
彼が購入したそのライン・ファームとハシエンダをスクライブ・ファームと名付けたのも、
そのドイツ移民が築き上げたワイン・ビジネスの道を再度自分が継承していきたいという所以から。
ただ彼らの道を辿るのではなく、その道を元にこれからのワイナリーを蓄積することがスクライブ。
彼らの築いたビジネスのコピーでもなく、真似でもなく、築かれた歴史を感じ次の未来のカルチャーを創り上げることを目標にしているのだとか。


SCRIBE WINERYの若きオーナーについては:http://www.babajiji.com/3086

Column

Columnをはじめるにあたって

admin | 2011.06.10

by Yukari Iki

友里さんが2010の2月に奮起をして飛んだ先、そこはアメリカはカリフォルニア州バークレー。
バークレーにあるシェパニーズというレストランでの修行をするため。
そこを訪れるきっかけとなったのは、彼女の中に突如生まれたある感情に自身が素直に耳を傾けたことから始まった。

様々な食に関するお仕事をさせてもらったあげく、2009年6月に食べれる映画”eatrip”をとりまとめた。
その公開終了して間もなく、自然と彼女の中に生まれたこと。
それは、食に関わってきたから学んだ一つとして豪華なディッシュよりも何よりも、種や土や水が一番大切で要であるということ。
それと同様、調理で言えば、その種や水に値するコトは、”現場(調理現場)”であるということ。
色んな経験を経て、原点に戻ってその現場を感じたいという思いを体が純粋に発したのだと思う。

アメリカというかアメリカどころかカリフォルニアという方面自体、
なじみを感じることの少なかった友里さんが、2010年入ってから足しげくカリフォルニアに毎月通うことになったきっかけになったこの月:2010年2月。

その2月を皮切りに、毎月出会うことになり同志&友達となった世代も性別もジャンルも違う様々な人々。
その彼らが食を愛し、その食にまつわる環境をどう思い、その食材に対してどういう姿勢で日々生活しているかが、
いかに自然で純粋で心地よいことなんだろうと教えられている日々。

そんな彼らの考え方や行動の1こまをご紹介。
それは食べ物だとか飲食だとかそういうくくりではなく、
ひたひたひたひたと水面下かもしれないけれど、一つのカルチャーとして生まれ、そんなカルチャーが集まる。
長い年月を経て循環する農園の土のように、彼らの考え方や活動内容はいつの間にか大きな大きな家族/共同体かのように、広いカリフォルニアにてネットワークがはりめぐらされはじめており、次の世代へと土地も人間も受け継がれていくのだろうと思う。

Column

Sylvan Mishima Brackett

admin | 2011.05.13

Sylvan Mishima Brackett
http://eatpekopeko.com/

by Yukari Iki


京都に生まれたシルバンは日本人とアメリカ人のハーフ。
6年間Chez Panisse創立者であるアリス・ウォーターのファーストアシスタントを勤めた後、埼玉にある【蕎麦ろ】にておもてなしから始まる日本の食文化を修行。
帰国後、ケータリングユニットPeko Pekoを立ち上げ活動する傍ら、Chez Panisseのクリエイティブディレクターとして、様々な情報とネットワークを張り巡らしている。
彼が日本の家庭料理を基本にしたケータリングユニットをすることになったきっかけは、もちろんお母様の出身地が日本であるということ。
そして、生まれた場所である京都に、幼少の頃は夏休みともなると祖母を訪ねていたこともあり、日本食のシンプルさとおもてなしそのものに惚れ込んだのだとか。


ネヴァダにある彼の実家は、いまや日本でも見かけることの少ない完璧なる日本家屋。
ネヴァダにこの建物をわざわざ建てただなんて考えられないほど、とてつもなく完璧な古いお寺のような日本家屋。
その建物は他でもない、日本の寺建物の大工/職人として京都で7年間修行した経験があるお父様自ら手掛けたもの。
そのお父様はその経験をEAST WIND INC. (HIGASHI KAZE)という会社を立ち上げ、ネヴァダをベースに日本建築を手掛けている。

シルバンと彼の妹であるアヤによると、
「冬は寒くて夏は暑い、とてもネヴァダには機能的にマッチしているとは思えない建築だった」
と幼少時代の思い出を子供達である彼らに言われてしまってはいるものの、
その実家である建物の写真がぼろぼろになりながらも、常にお財布の中にいれている兄妹。家族愛。

シルバンとの出会いは、去年の夏に野村友里さんがロスとサンフランシスコに訪れた際に、アヤの兄として紹介されたのが始め。
そしてその数ヶ月後に、シルバンとアヤが祖母に会いに行く途中に来てくれた鹿児島での料理撮影の際が二度目。

そんな”ちょろっとした時間”をともにしただけだったシルバンだったが、
より濃密な時間を過ごすことになったのが2月にシェパニーズに修行させてもらいに行った時。
そう、つまりそんなに年月たっていない間柄。
なのに、なぜだろう?心地よくすごく前から知っているような雰囲気にお互いなれるのは? 
日本語が少し分かってくれるからなのか、英語で全てを伝えようと思う時のような緊張をしなくても、逆に自由に気にせず気持ちを伝えやすい相手。
そして発音が例え日本語風であったとしても、私の言っていることを理解する免疫がシルバンにはある。
そしてなにより、言葉や国を超えて分かり合えることがあると言いますが、幸運にも「食」というツールが全てをつなげてくれているんだと。
彼だからこそ、多くの考え方や私(友里)自身の意志を伝え意見を交換しあうことができている仲間の1人。

星回りというか巡り合わせというのは、自分が素直でニュートラルに努力している時、つまりはなにも狙ってない時だからこそ訪れてくるものらしく、
2月のシェパニーズでの修行を終えた後、私が監督を勤めた映画”eatrip”の試写が4月にサンフランシスコで開催されることに。
そしてそのレセプションでお料理を振る舞う機会を恵まれ、パートナーとしてPeko Pekoと一緒にケータリング。


日本でしか取得できない食材や調味料はスーツケースいっぱいにつめこんで渡米したものの、
バークレーを拠点にしているシルバンなしには成立しなかった程の彼の行動力とGIVEの精神。
たった数回のメールのやりとりでメニュー考案を一緒にし、いざ現場。現地での食材集めは、シルバンのシェパニーズでの経験を活かし、
市内から郊外へと与えられた時間をフル活用し車を走らせる走らせる。おちゃめなキャラクターで、
声のトーンがとてもやわらか。どこか教育番組のお兄さんのような話し方と目の配り方は、食材を触るときも同じ。
そしてまたひょんなことに、その2ヶ月後の6月にロサンゼルスはサンタモニカにある老舗の陶器メーカー”ヒースセラミックス”にお呼ばれ。
そのお店で、東京のインテリア会社PLAYMOUTAINの展示会初日のレセプションをさせてもらうことになり、再度渡米。
その時のパートナーももちろんロサンゼルスから車でわざわざ8時間かけてかけつけてくれたのはシルバンでした。
奥さんの実家がロサンゼルスにあるから大丈夫だと言い、車で一人食材や調理器具を車一杯に詰め込んで。


大皿が必要なメニューを二人で考案していたのにも関わらず大皿の用意がないと分かったとたんに、友里さんが大きな葉ものをお皿代わりに使おう!と提案するだけで、
とてつもない感動を覚えてくれる。彼女にしてみたら、普段のケータリングではよくする手法の1つではあるのでアイデアを出した感はないのだけども、
そういうお互いの【自分にとっての普通】を何気ない調理最中に交換し刺激し合うことで、次の何かに進める。
そういう個々が独立した中で生まれる場の雰囲気や作品の仕上がりは格別。
フォトグラファーである妹のアヤともよく仕事を一緒にこなし、とても仲のいい家族。
アヤは、自分の兄であるシルバンの感覚と思いを人として尊敬し、彼の料理活動を撮影することで毎回自分の作風にも影響があるという。

 

Sylvan Mishima Brackett
http://eatpekopeko.com/